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黒猫は不幸をもたらす

 猫の都市伝説の一つである「黒猫は不幸をもたらす」について真偽を解説します。果たして本当なのでしょうか?それとも嘘なのでしょうか?

伝説の出どころ

 「黒猫が不幸をもたらす」という都市伝説は非常に古い起源を持っているようです。よく言われてるのは「中世の魔女と黒猫が結びつけられたため」という説ですが、さらにその源流をたどっていくと、古代エジプトにおける猫神信仰にまでさかのぼることができます。

中世の魔女と黒猫

 1930年に出版された「猫と魔術と神話辞典」(柏書房)の中では、エジプトにおけるバステト神から中世における魔女信仰に至るまでの経緯が詳細に述べられています。以下はその概略です。
魔女が生まれるまでの流れ
  • バステトの信仰猫の姿をした古代エジプト神バステト 古代エジプトにおいては、「バステト」という神と猫が同一視されて崇められていました。また、バステトは夜の間、太陽神に代わって目の役割を果たす神であると考えられていたため、夜でも輝き続ける「月」の象徴としても認識されるようになっていきました。こうした結び付きが生まれたのは、暗闇でもわずかな光を反射して光る猫の目に着想を得たからかもしれません。つまり「猫の目が光る→闇夜に浮かぶ月→月を象徴するバステト」という連想です。
  • ギリシア神話との融合 エジプトにおいて月の象徴として崇められていたバステト神は、次第にギリシアローマ神話における三位一体神(天空のルナ/地上のディアナ/冥界のヘカテ)と融合していったと考えられます。紀元前450年頃、エジプトを旅したヘロドトスは、バステトを祀った石造りの神殿が「スペオスアルテミドス」、すなわち「アルテミス・ディアナの洞窟」と名付けられていたと記述しています。このことから、エジプトでは「バステト=ディアナ」という考え方が一般に認められていた可能性がうかがえます。
  • 古代ディアナ信仰の誕生 ギリシアローマ神話を通してヨーロッパに広がったバステト信仰は、徐々に三位一体神の中の1人である地上の「ディアナ」に比重を置くようになっていったと考えられます。古代のディアナ信仰では、年に4回、教えの奥義を祝うために信者たちが集まったといいます。この集会は「サバト」(魔女集会)と呼ばれ、共同体としての信者たちの拠り所になっていたようです。
  • ディアナ信仰と猫のリンク ディアナ信仰者たちは、古代エジプトにおいて「バステト=月=猫」という結びつきで考えられていたことから、サバトに猫を取り入れるようになったと考えられます。この儀式の参加者は、猫などの動物を真似て皮や仮面で扮装したと言われます。そしてこの習慣が、後に「魔女が黒猫に変身する」という俗信を作るきっかけになってしまいました。
  • 神秘性の拡大魔女たちがサバト会場に行くときは、ほうきに乗ると信じられるようになった ディアナ信仰者たちがサバトを開くときは、なるべくディアナに気に入ってもらえるよう、人里離れた場所を選んでいたといいます。それは森の中や山奥や洞窟の中など、人間の居住地から遠く離れた場所でした。やがて周囲の人々は「女たちが猫やほうきにまたがって遠い場所へ赴き、得体の知れない儀式を行っている」と噂するようになりました。この噂が「魔女=黒猫=ほうきに乗る」というイメージの固定化に拍車を掛けることになります。
  • キリスト教との衝突  一部の人々の間で流行していたディアナ信仰は、当時、勢力拡大を狙っていたキリスト教から目をつけられるようになりました。12世紀のエクセター主教・バーソロミュー・イスカヌス(1161~1184)は、「魔王の策略の罠にはまったものは誰でも、ヘロディアスだかディアナだか知らないが、下品な名前の女の後に続いて、無数の群衆が乗り物に乗り、その女の命令に従ったと信じ、そう公言するのかもしれない」といった言葉を残し、ディアナ信仰に対する嫌悪感をあらわにしています。
  • キリスト教の攻撃 16世紀、ジェームス1世の時代になると、英国におけるキリスト教教会は、とうとうディアナ信仰を攻撃する決意を固めました。あらゆる自然現象はディアナ信仰者、すなわち「魔女」の仕業とみなされるようになり、その結果、魔女のみならず猫までもが、「魔女の使い魔」としてキリスト教の迫害を受けるようになりました。
  • 魔女狩りの隆盛中世ヨーロッパでは、拷問によって自白を引き出す「魔女狩り」が横行した 勢力の拡大を狙う当時のキリスト教教会は、ライバルである「ディアナ信仰」を徹底的に叩くため、魔女狩りを始めました。内容は聞いてあきれるものばかりです。例えばフィッシュクロスという街で猫が寄り集まっていた光景を目撃した人が「アバディーンの魔女たちが猫に扮し、酒宴を催している」と訴えるなどです。この頃から徐々に、「猫は魔女が変身した姿である」とか「魔女は黒猫に姿を変える」といった俗信が広まり、「黒猫には邪悪な力が宿っている」という固定観念が生まれ始めました。
 上記したように、古代エジプトで始まったバステト神に対する信仰は、ギリシア神話を経由してヨーロッパに広がり、その後紆余曲折を経て魔女信仰と繋がったようです。そしてこの魔女信仰が黒猫と結びつけられたために、罪のない黒猫たちはいわれのない迫害を受けるようになりました。この余波が、現代における「黒猫が不幸をもたらす」という都市伝説の起源だと思われます。

日本における伝説の推移

 中世ヨーロッパで生まれた「黒猫=不吉」という図式が、一体いつ日本に持ち込まれたのかに関しては、よく分かっていません。
 わが国における最初期の猫専門書籍「猫」(1910年)を見ると、「猫に関する重大なる伝説」という項目があり、「仏教の涅槃図に猫が描かれていない」や「 棺桶の上に守り刀を置く」といった項目が解説されているものの、「黒猫が不幸をもたらす」というくだりは見当たりません。それから半世紀以上後の「ねこ~その歴史・習性・人間との関係」(1973年)という本を見ると、「猫が魔性を備えているという俗信から不吉の動物と目され、黒猫に道を横切られると行く先に不吉が起きると言われる」と記されています。ですから少なくとも1970年代には、「黒猫=不吉」と言う風説の原型ができていたと考えられます。プラスとマイナス両方の側面を持った黒猫  それからわずか10年後の1980年代を見てみると、当時一世を風靡した人気アニメ「うる星やつら・完結編」(1988年)の中では、黒猫が不吉の象徴として描かれています。その一方、同時期公開のジブリアニメ「魔女の宅急便」(1989年)の中では、かわいいキャラクター「ジジ」としても描かれています。黒猫がこうした二面性を持つようになった背景には、おそらく「キリスト教の影響がそれほど強くない」、「ハロウィンが根付いていない」という日本のお国柄が関係しているのでしょう。
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伝説の検証

 「黒猫=不吉」というイメージが固定化されてしまった最大の理由は、中世ヨーロッパにおいて、黒猫が魔女の使い魔としてみなされてしまったからです。しかし仮にこうした言いがかりがなかったとしても、黒猫のことを不気味に感じてしまう人がいただろうと思われます。その理由は、「黒」という色が人間の心理に対して与える微妙な影響力です。

静電気

 昔の人々が黒猫のことを不気味だと感じた理由の1つとして、「静電気」の存在が挙げられます。
 静電気を最初に発見したのは、古代ギリシアの哲学者タレスだと言われています。彼は紀元前6世紀頃、琥珀を毛皮に擦りつけると、乾いた麦わらを引き寄せるという奇妙な現象に気づきました。犬派の人は「犬に擦り付けたんだ」と主張し、猫派の人は「いや、猫に擦り付けたんだ」と言いますが、それはこの際どうでも良いでしょう。
 時代は下り唐代の中国では、その当時のトンデモ本「酉陽雑俎」(ゆうようざっそ, 860年)の中で次のような現象を記録しています。「黒猫闇中逆循其毛若火星」。これは「暗いところで黒猫の毛を逆向きに撫でると、きらきらひかる」という意味です。電気の概念がなかった当時の人々にとって、「体が光る」という現象が、相当不気味に思えただろう事は想像に難くありません。
暗闇で光る静電気  一方、日本においても同様の現象が記述されています。例えば「本朝食鑑」(ほんちょうしょっかん, 1697年)の中では、「暗処において手を以て背毛をさかしまに撫づれば、則ち光を放って火を点ずるが如し」と記されており、「これ怪を為す所以なり」、すなわち「猫が怪異をなすのはこのせいだ」と断じています。また同時代の「大和本草」(やまとほんぞう, 1709年)の中では「黒猫の毛を暗い夜に逆になづれば光いづること、今試みるにしかり」と記されています。そして体毛が光る理由を「毛の間の屑ひかるなり」、つまり「フケが光っている」としています。電気の概念がないわけですから、すっとんきょうな答えに飛びつくのも無理はありません。
 このように、猫の被毛に発生した静電気が暗闇において光るという現象は、昔の人々に対して「気味が悪い!」と思わせるのに十分なインパクトを持っていたと思われます。そしてそのインパクトは、猫の被毛色が「黒」だった時、より一層強まったことでしょう。

色彩心理学

 人々が黒猫を不気味であると感じてしまう理由の1つとして、「黒」という色が持つ色彩心理学的な側面を無視できません。「色彩心理学」とは、色が人間の心に対して働きかける作用を体系化した学問のことです。「黒」という色については、以下に述べるような実験データが示唆に富んでいます。
黒の色彩心理学
  • 新生児 新生児20人を対象として色に対する好みの調査を行ったところ、生後間もない段階ですでに無色系(灰・黒)よりも有色系(赤・青・黄)を好む傾向が見られた。An evaluation of color preference in early infancy
  • 幼児 5歳のグループ(男15人/女15人)と6歳半のグループ(男15人/女15人)に対し、色と感情の結びつきに関する調査を行ったところ、男女とも、ピンク、青、赤といった明るめの色に対してはポジティブなイメージを持ち、逆に茶色、グレー、黒といった暗めの色に対してはネガティブなイメージを持つ傾向があった。さらにこの傾向は、男の子よりも女の子で、そして5歳のグループよりも6歳半のグループで強かった。Children's Emotional Associations with Colors
  • 成人 実験の結果、人々は自分が好きなものに関連した色を好み(爽快な青空→青が好き)、逆に自分が嫌いな物に関連した色を嫌う(曇り空→黒が嫌い)傾向があることが強く示唆された。An ecological valence theory of human color preference
 上記したデータから見えてくるのは、「人間は先天的に暗めの色があまり好きではなく、後天的な経験を通じてその嗜好が強められる可能性がある」ということです。黒に関連したものには、闇夜、曇り空、腐敗物、クモ、昆虫、かさぶた、ドブ川など、人間に嫌悪感を抱かせるものがたくさんあります。こうした対象物に何度も接していると、「黒色=何となく嫌な感じ」という先天的な嗜好性が、自分でも知らないうちに強められていくという可能性は十分あるでしょう。そして、黒に対してネガティブな印象を抱くことが癖になった人が黒猫を見た時、「理由は分からないけど…何となく不気味だ!」という感情を抱くようになるかもしれません。

闇夜の恐怖

 電気のない時代における暗がりへの恐怖感が、黒猫の不気味さを助長した可能性があります。
 生活の中に電気が普及するようになったのは1800年代後半からです。それ以前の世界においては、月の光か火の明かりを太陽が沈んでからの光源にしていました。当然、街灯などありませんので外は真っ暗です。こうした真っ暗闇の道端で、白猫と黒猫がたたずんでいる状況に遭遇した場合、一体どのように見えるでしょうか? 闇夜における白猫と黒猫の視認性比較  白猫の場合、周囲が暗くても輪郭がぼんやり見えますので、比較的即座に「猫だ!」と認識することができます。一方、黒猫の場合、黒い被毛が迷彩色となって闇夜に溶け込んでしまっているため、らんらんと輝く瞳だけが強調されてしまいます。暗がりの中で浮かぶ不気味な2つの光を見た人は、さぞ恐ろしく感じたことでしょう。
 このように、電気が普及する以前の暗がりが多かった世の中のおいては、本来生存に有利に働くはずの黒猫の迷彩色が逆に不利に働き、人間に嫌悪感を抱かせるきっかけになっていたという可能性が考えられます。
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伝説の結論

 「黒猫は不吉だ」とか「黒猫には怪しい力がある」といったネガティブな伝説は、中世ヨーロッパにおいてでっち上げられた魔女のイメージ、そしておそらくは「黒」という色がもつ色彩心理学的な作用によって作り出されたものだと考えられます。

ヨーロッパの黒猫伝説

 黒猫とリンクしたネガティブな伝説のせいで、彼らは長い間散々ひどい目にあってきました。ヨーロッパにおける黒猫の悲劇の歴史をひも解くと、1冊の本ができるくらいです。具体例としては以下のようなものを挙げれば十分でしょう。
黒猫の受難史
  • 薬として 17世紀の自然科学者トプセルは、失明の治療として黒猫の頭部を使う方法を以下のように詳細に記録しています。「一片たりとも他の色が混じっていない純粋な黒猫の頭部を燃やし、鉛を含んだ、あるいは内側に釉薬をかけた土器の中で、粉状になるまですり潰す。その粉を1日2回、目に吹き付ける。するとそれまで1年間目が見えなかった人でさえ視力を取り戻すだろう」
  • 魔よけとして スコットランドには「死んだ人の体を猫と一緒にしてはいけない」、「猫は死人の体に飛び乗ると魂が危険にさらされるか、さもなくば次に体を目撃した人が死んでしまう」という迷信があり、不運にも体に乗ってしまった猫は殺されてしまいました。
  • まじないとして 1929年1月13日の「Sunday express」紙に以下のような記事が記載されました。「本日ペンシルバニア州ヨーク郡は、農地も街も魔女への恐怖一色に染まり、郊外の村でも魔力や霊への恐怖に怯えた。納屋、牛舎、家畜の避難小屋には奇妙な十字架や魔除けのカラフルな象形文字が描かれた。サタンから身を守る確実な方法は、黒猫を生きたまま熱湯に放り込み、最後に残った骨を魔除けにすることだという。そのため田舎からは黒猫が姿を消した」猫と魔術と神話事典(柏書房)
 上記した事例はすべて、20世紀以前のものです。しかし驚くべきことに、21世紀に突入した今日においても、なぜか黒猫を毛嫌いし、迫害の対象にしている事例があります。イタリアのにおける「黒猫の大量虐殺」がそれです。
 イタリアにおいては黒猫を不吉と考える風潮がいまだに根強く残っており、年間およそ6万頭もの黒猫が迫害の犠牲になっているとのこと(2007年時点)。またハロウィンが近づいてくると姿を見せなくなる猫が増えることから、何者かが黒魔術の儀式に用いているのではないかとも推測されています。こうした風潮を是正するため、国内の動物保護団体は11月17日を「黒猫の日」と制定し、黒猫の地位を向上させるための啓蒙につなげていきたいとしています。 Bad luck for black cats in Italy(Telegraph, 2007.8.26)

日本の黒猫伝説

 キリスト教の影響が少ない日本においては、欧米諸国で見られるような苛烈な黒猫嫌いは見られません。20世紀に入るころまでは、逆に「好まれていたのではないか?」と思われる節すらあります。例えば以下のような事例です。
日本文化の中の黒猫
  • 宇多天皇御記 日本最初の猫ブログともいえる「宇多天皇御記」(889年)の中では、先帝・光孝からもらった「墨のように真っ黒な猫」を、宇多天皇が5年間にわたって大事に飼い続けた様子が記されています。
  • 川柳 江戸時代、黒猫(烏猫)を膝の上に置いておくと、それだけで肺結核(労咳)、恋の病、怠け病といった病気に薬効があると信じられていたようです。そうした俗信は様々な川柳の中に散見されます。
    ・黒猫をものぐさ太郎抱いている
    ・青白い娘のそばに黒い猫
    ・労咳の座ると膝に目が二つ
  • 吾輩は猫である漱石が残した自筆の猫スケッチ 夏目漱石の代表作「吾輩は猫である」にはちゃんとしたモデルがおり、それが黒っぽい虎猫であった事はあまり知られていません。明治37年(1904)、夏目家に迷い込んできたこの猫は、「これは爪まで黒い珍しい福猫です。飼っておけばきっと繁盛しますよ」という通いの按摩さんの一言で家族の一員となりました。按摩さんの予言通り、明治38年に出版された「吾輩は猫である」が大ヒットします。それから3年後の明治41年、この猫が死んだ際、漱石は友人宛に猫の死亡通知を出したと言います。漱石宅の裏庭にある猫の墓所には、13回忌の時に九重の石塔が建ち「猫塚」と命名されました。ねこ~その歴史・習性・人間との関係
 1900年代前半まで、黒猫に対して比較的好意的な姿勢を保ってきた日本も、1970年代頃になるとやや西洋かぶれし、「黒猫=不吉」という俗信を信じるようになりました。ただその後は、黒猫の「ジジ」や運輸会社のロゴなどの影響もあり、上記したような輸入物のイメージはかなり払拭(ふっしょく)されてきています。
うつ病の隠喩として用いられている「黒い犬」(Black Dog)  しかし黒猫が、「黒」という人間の心理に作用しやすい色を保有している限り、いつなんどき「ブラックドッグ」と同じ状況に陥るとも限りません。「ブラックドッグ」(Black Dog)とは「うつ病」の隠喩として用いられる表現で、これをもとにWHOが「私はうつという名の黒い犬を飼っている」(I had a black dog, his name was depression )という動画を作成したことで話題になりました。
 アメリカの動物保護施設において、黒い犬の譲渡率は他の犬に比べて悪いといいます。この現象は特に「黒い犬症候群」(Black Dog Syndrome, BDS)と呼ばれ、仮説として「黒い色と邪悪さや不幸がリンクしているからではないか?」などが考えられています。上記「ブラックドッグ」に代表されるような安易なメタファーが、犬や猫にネガティブな印象を付け、それが結果として「BDS」につながっているのではないかと思えてなりません。
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