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猫さらいがいる

 猫の都市伝説の一つである「猫さらいがいる」について真偽を解説します。果たして本当なのでしょうか?それとも嘘なのでしょうか?

伝説の出どころ

 「公園にいた野良猫たちがごっそりいなくなった」という噂をたまに耳にすることがあります。そしてその原因として、まことしやかに「猫さらいに連れ去られたに違いない!」という憶測を流布している人もよく見かけます。この種の都市伝説の出どころとなっているのは、おそらく1970年代まで国内に実在していた「猫捕り」と呼ばれる、猫の皮を三味線用に流す業者の存在だと思われます。

三味線と猫の皮

三味線の胴部分には最高級品として猫皮が用いられる  日本の伝統楽器の1つに「三味線」がありますが、その胴の部分には古くから猫の皮が用いられてきました。いつごろからその様な文化が始まったのかは定かではありません。ただ当時の文献を参照すると、永禄年間(1558~70年)の頃に琉球から伝わった蛇皮線(じゃびせん)が、1700年代初頭にはもう猫にとってかわられていたことがわかります。胴皮の交代劇は、永禄年間から寛永年間(1624~44年)に至るまでの、約70年の間に起こったものと推測されます。
1700年代初頭の三味線
  • 和漢三才図会(1713) 「その皮みな猫の革を以てす、八乳の者を良しとす、狗子の皮を下となす」と記載されており、三味線には犬よりも猫の皮の方がよいとしています。
  • 竹豊故事(1756) 「三弦の胴を蛇の皮を以て張るといへども、我が朝にかかる大きなる蛇皮なし、依って猫の皮に替へて是れを張りたり」と記載されており、蛇皮線に用いられる海ヘビの皮が入手困難であるため、代わりに猫の皮を用いるようになったと言っています。

なぜ猫の皮?

 蛇皮線で用いられていた海蛇の皮に代わり、猫の皮が好んで用いられるようになった理由としては主に以下のようなものが挙げられるでしょう。
猫の皮がもつ利点
  • 蛇皮よりも破れにくかった
  • 犬皮よりも音が良かった
  • 材料を入手しやすかった
  • 初期に持ち込まれた場所が、なめし業の盛んだった関西(大阪湾堺港)だった
 上記したほかにも、当時の人々の間では比較的一般的だった「猫股」(ねこまた)という文化的な背景が関わってる可能性もあります。猫股とは、年をとった猫が化ける大猫のことで、人に害をなすと信じられていました。この俗信のせいで、「人間の敵なのだから殺してもいいだろう」という具合に、猫を殺(あや)める際の心理的な障壁が、かなり下げられていたと考えられます。

猫捕りビジネスの誕生

目の不自由な座頭は、三味線を弾いて生計を立てることが多かった  三味線の普及は、猫の皮に対する需要を高めていきました。この関係性は「風が吹けば桶屋が儲かる」というフレーズにも見て取ることができます。完全形は「風が吹いて砂埃が立つとそれが目に入って失明する人が増える→目の不自由な座頭(ざとう)が増えると三味線を弾く人が増える→三味線を弾く人が増えればそれだけ猫を捕らなければならない→猫が減ってネズミが増えると桶を盛んにかじるようになる→桶の需要が高まって桶屋が儲かる」というものであり、猫と三味線の不可分な関係を如実に物語っています。
 江戸時代を通じて徐々に高まりを見せた猫の皮に対する需要は、新たなビジネスを生み出しました。それが「猫捕り」です。明治時代の猫に関する書籍「猫」(石田孫太郎, 1910年)の中には、「猫の皮と毛」という項目があり、当時の猫捕りについてちらっと触れている箇所があります。概要は以下です。
猫の皮と毛
  • 最もよいのは猫の腹の皮である
  • 年齢的には生後6ヶ月がベスト
  • 毛色では白猫とトラ猫がよい
  • 黒猫は加工が難しいので格下
  • 白の子猫を飼っている人は盗まれないよう注意が必要である
  • 猫泥棒にとってはよい日当になる
 最後の「猫泥棒にとってはよい日当になる」という一文から、この当時すでに「猫泥棒」なる不届き者がいたことがわかります。おそらく、外をうろうろしている猫を捕まえてなめし業者に流し、日銭を稼ぐ人のことを言っているのでしょう。

猫捕り業の一般化

 猫を捕まえて三味線製造業者に流す「猫捕り」は、明治、大正時代を乗り越え、昭和に入ってもまだ存続していました。例えば1970年(昭和45)8月28日の読売新聞夕刊には、当時の猫捕りの様子を伝える記事が残されています。記事によると、大阪から東京に来ていた「出張猫捕り師」は、手製の捕獲器を持参して中央区月島に小型トラックで乗り付け、7月から渋谷、浅草などで44匹の猫を捕獲。その後三味線の皮としてメス猫1匹3,000円、オス猫1匹1,500円で大阪のなめし皮業者に流していたといいます。さらに、このなめし業者の元には、全国から200人もの「猫捕り師」が出入りし、絶えず商品を納入していたとも。
 「猫がいなくなったのは猫さらいに連れ去られたからだ!」という都市伝説は、「猫がいなくなる」という現象と、上記したようなショッキングな出来事とを、短絡的に結びつけることで生み出されたものと考えられます。
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伝説の検証

 1970年代まで日本国内に実在していた猫捕り業者たちは、その後徐々に鳴りを潜めていきました。その背景にあるのは、1973年に成立した「動物愛護法」の存在です。

60~70年代の猫捕り

 三味線文化について語った「富士山と三味線」(青土社)の中では、1970年代まで横行していた「猫捕り」に関する記述が見られます。内容によると、日本における猫皮供給の中心地は、1960年(昭和35)頃まで関西にあったとのこと。関西では元締めの下に「出方」と呼ばれる猫を捕獲する専門業者がおり、組織的に猫を捕らえては三味線用の皮に加工していたといいます。一方、関東では関西ほどの組織化は見られず、「猫釣り」と呼ばれる業者が野良猫を巧みに捕獲し、三味線製造業者に売り払っていたとか。前のセクションで述べた、関西からの「出張猫捕り」も、こうした業者の一部だったのではないかと推測されます。

動物愛護法の成立

 あちこちに出没していた猫皮供給業者の打撃となったのは、1973年に施行された「動物の保護及び管理に関する法律」です。この法律では「愛護動物をみだりに殺し又は傷つけたものは3万以下の罰金または科料に処する」と規定されたため、従来のような大っぴらな猫捕りができなくなってしまいました。
 この規制に対し、三味線皮製造の同業組織は、当時の厚生省に「三味線の皮にする目的で野良猫を捕獲する漁師に公の許可証を出してほしい」と陳情したことがあったそうです。結局その陳情は聞き入れられず、徐々に国産の猫皮が減り、代わりに中国、台湾、タイといった国からの輸入物が増えていきました。

現在の猫捕り

 「富士山と三味線」によると、出版された2014年の時点で日本国内にある三味線皮製造業者は、わずか数軒にまで減り、さらにそのうち1軒は「材料があればやる」という半休業状態だといいます。また近年は、海外からの輸入品や合成皮革などが用いられるようになってきていますので、三味線業者に流す目的での「猫捕り」が、今の世の中でどれほど商売として成立するのかは分かりません。しかしもしあるのだとしたら、その行為は「愛護動物をみだりに殺し傷つける」ことに該当しますので、れっきとした犯罪になることだけは確かです。
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伝説の結論

 三味線文化と共に歩んできた猫捕り業者は、1973年の「動物愛護法」の成立を境に肩身が狭くなり、今ではほとんど見られなくなりました。また中国やベトナムにおける食肉用の猫捕り、スイスにおける毛皮用の猫捕り、アメリカにおける動物実験用の猫捕りなど、三味線以外を目的とした猫捕りに関しても、マスコミで報道されるような大きな事件は起こっていません。
 その反面、厳然たる事実として、今もなお国内にはびこっている猫捕りがあります。それは「虐待目的の猫捕り」です。
虐待目的での猫さらい
  • 2012年12月 大阪市鶴見区諸口の団地周辺で14匹の猫の死骸が見つかった。住民らによると、猫の死体は6月から10月にかけて、団地1階の手すりや花壇などで相次いで発見されたとのこと。岐阜大がこのうち3匹を解剖した結果、頭部に強い力を加えて骨折させられた可能性が高いことが判明した。
  • 2013年4月  4月2日午前7時ごろ、広島県呉市の住宅の庭先に猫の死骸があるのを近所の人が発見。猫の不審死は、今回で25件目となる。発見された猫は首輪をつけておらず、胴体を刃物で切り取られた状態だったとのこと。現場に血が残っていないため、警察は、別の場所で切られて運ばれたとみて捜査を続けている。
  • 2014年5月 神奈川県川崎市麻生区で、脚を切断された野良猫が多数目撃された。住民グループによると、2008年10月以降、脚を切断されて保護された猫の数は15匹にも及び、小動物のものと思われる脚の一部が、民家の前に並べられていたこともあったという。猫の治療に当たった医師の話では、野生動物を捕らえる際に用いる「とらわな」にかかった可能性が高いとのこと。
 上記した事例から考えると、「猫さらいがいる!」という都市伝説は真実であると言わざるを得ません。ただし、かつては金銭目的が主流だったものが、近年は虐待目的に変わりつつあります。私たちが猫を守るためにできることは、「不妊手術をして放浪癖を減らすこと」、「猫を室内飼いして外に出さないこと」、そして「虐待を目撃したときは速やかに警察に通報すること」などです。
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