トップ2016年・猫ニュース一覧10月の猫ニュース10月24日

猫の生まれ故郷をミトコンドリアDNAからたどる

 旧石器時代から19世紀までのおよそ9000年に渡る古代猫の遺体を調べることにより、猫がどのようにして世界に広がっていったのかが明らかになりました(2016.10.24/フランスなど)。

詳細

 調査を行ったのは、フランス、ベルギー、ドイツなど複数の国からなる共同研究チーム。ヨーロッパ、北アフリカ、東アフリカ、南西アジアなどで発見された様々な 時代に属する351の遺体サンプルから、ミトコンドリアと呼ばれる細胞内の小器官を採取し、合計209のミトコンドリアDNAシークエンスを集めました。
ミトコンドリアDNA
 細胞の中に含まれる小器官の一種「ミトコンドリア」内にあるDNAのこと。核内に含まれる核DNAとは別の遺伝情報を含んでおり、常に母方のミトコンドリアDNAだけが子孫に受け継がれる。
 採取したミトコンドリアDNAのうち、系統発生に関する情報を多く含んだ「ND5」、「ND6」、「CytB」という区画に含まれる42の変異部分(SNPs)を、「aMPlex Torrent」と呼ばれる最新技術を用いて分析した所、ヤマネコ(Felis silvestris)に属する4つの大きな分岐群と、ハイイロネコ(Felis bieti)からなる大きな系統樹が出来上がったと言います。さらにヤマネコの枝に属する猫の祖先「リビアヤマネコ」(分岐群IV)は、AからEまでの5つのサブクラスに分類できたとも。調査で明らかになった事実の中から、主だったものをご紹介します。なお「BC」とは紀元前、「AD」とは西暦のことです。 Of cats and men: the paleogenetic history of the dispersal of cats in the ancient world

猫の故郷は小アジア?

 科学的に測定して最も古いと判定されたのは、小アジア(アナトリア)から発掘されたサンプルでした。具体的にはBC8,000年と推計されていますので、今からおよそ1万年前のものということになります。 小アジアの地理的な位置  この最古のサンプルはリビアヤマネコの「A*」と呼ばれる分岐群に属するもので、小アジアからやや北に行ったところにあるブルガリアやルーマニアからも発見されています。しかしその年代は、それぞれBC4,400年とBC3,200年という具合に、小アジアのものとは4~5,000年近く離れていました。こうした事実から、もともと小アジアに生息していたリビアヤマネコは、遅くともBC4,400年頃には東(アジア側)から西(ヨーロッパ側)への移動を完了していたものと推測されます。 キプロスの地理上の位置  小アジアからやや南に行ったところにあるキプロスでも、BC7,500年頃のものと思われる「A*」タイプのサンプルが発見されました。猫が小アジアから海を泳いで島にたどり着いたとか、海に浮かんでいた板をイカダにして島に流れ着いたといった可能性は決してゼロではありません。しかし常識的には「人間が猫を船に乗せて島に持ち込んだ」と考えるのが普通でしょう。島の中にある遺跡からは、人間の遺体のそばに葬られた猫の遺骨も発見されていますので、およそ9,500年前の時点ではすでに猫と人間とが共同生活をしていたものと考えられます。

エジプトの猫は密輸品?

 歴史的に「肥沃な三日月地帯」と呼ばれる地域やエジプトのミイラ猫からは、「C1」や「C*」といった分岐群に属するサンプルが多く発見されました。 肥沃な三日月地帯の地理的な位置  同じ分岐群に属するサンプルは、アナトリア西部(AD1,000年頃)、イランにある港Siraf(AD800年頃)、バルト海にあるバイキングの港Ralswiek(AD700年頃)などからも発見されています。古代エジプトでは、BC1,700年頃には既に猫の輸出が禁止されていましたが、上記したような「C1」や「C*」の散らばり方を見る限り、国外への流出を完全に防ぎきる事はできていなかったようです。おそらく商人たちが猫の害虫駆除係としての能力に目をつけて船にこっそりと持ち込み、海路を通じてフェニキア、カルタゴ、ギリシア、エトルリア、ローマといった離れた土地に連れ込んだものと推測されます。BC600年ころの古代ギリシアの人工物に猫の姿を確認できるのも、上記した猫の流れを示す一例と言えるでしょう。

変則タビーはオスマン帝国生まれ?

 野生のリビアヤマネコで見られるマックレルタビーと呼ばれる被毛パターンは「Ta遺伝子」の優性型によって発現します。仮にこの優性型を太字の「Ta」と表現すると、「Ta | Ta」もしくは「Ta | Ta」という遺伝子型の時、典型的なマックレルタビーを持つことになります。一方、劣性型の細字「Ta」を両親から受け継ぎ、「Ta | Ta」という遺伝子型を持った場合は、マックレルタビーの変則型であるブロッチドタビーが発現します。 マックレルタビーとブロッチドタビーの違い  調査チームが各年代に属するサンプルから劣性型の「Ta」を探してみたところ、12~13世紀頃の南西アジアが起源ではないかという可能性に行き着きました。これはちょうどこの土地にオスマン帝国が誕生した頃に相当します。その後「Ta」はヨーロッパやアフリカにも広がり、特に19世紀に入ってからは見た目を重視した選択繁殖によって爆発的に増えていきました。その結果が、現代のアメリカンショートヘアです。エジプト新王国時代(BC1570~1070年頃)や中世ヨーロッパの人工物にブロッチドタビーが見られないことから、この模様は12世紀以降になってようやく誕生した比較的新しいものだと推測されます。

解説

 2007年、アメリカ国立がん研究所(NCI)のキャットゲノム研究チームが行った調査により、猫の祖先は中近東に生息していたリビアヤマネコであるという事実が判明しました。今回の調査結果と考え合わせると「猫の故郷は中近東の中でも特に小アジア(トルコの半島部)である」という仮説が浮上してきます。トルコは野良猫に寛大な国とされていますが、人間がこの地に国を築いた当時から一緒に暮らしてきたことと関係しているのかもしれません。 トルコの名物猫トンビリとその銅像  5種類いるヤマネコの中でもリビアヤマネコだけが人間に家畜化された理由には、いくつかの偶然が関わっている可能性があります。1つは肥沃な三日月地帯が小アジアに近かったこと、そしてもう一つはリビアヤマネコが気質的に穏やかだったことです。仮に穏やかな気質を持っていたとしても、暮らしている場所が農耕文明の中心地よりもはるかに離れていたら、ヤマネコと人間の遭遇はなかなか起こらなかったでしょう。また仮に人間の集落近くに生息していたとしても、ヨーロッパヤマネコのように警戒心が強すぎたら人に近づいていかなかったでしょう。地理的な条件と生物学的な条件の両方が揃ったからこそ、リビアヤマネコに端を発するイエネコの歴史が始まったのだと考えられます。 猫の進化の歴史