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猫にもエピソード記憶はあるのか?

 犬や猫の行動や知性について心理学的な手法でアプローチする京都大学の調査チーム「CAMP-NYAN」が、猫のエピソード記憶に関するユニークな研究を行いました(2017.2.1/日本)。

エピソード記憶とは何か?

 「エピソード記憶」(episodic memory)とは、長期的に脳内に残る、個人が経験した出来事に関する記憶のことです。例えば「ディズニーランドに行った」、「子供の頃犬に噛まれた」、「宝くじで1万円当たった」など、喜怒哀楽を伴う記憶がこれに相当します。また、「天気予報を見た」、「家のドアに鍵をかけた」、「出勤途中で手紙を出した」など、何の感情も伴わない無味乾燥な記憶もエピソード記憶に含まれます(→出典)。 経験を通して「いつ・どこで・何が」という情報がエピソード記憶になる  人間におけるエピソード記憶は、「今朝の朝ごはんは何?」とか「高校の修学旅行でどこに行った?」といった質問を投げかけることで、脳内における存在を簡単に証明することができます。しかし言葉を話せない動物においては保有していることを証明するのが意外と難しく、「エピソード様記憶」(episodic-like memory)なら持っているかもしれないといったあいまいな解釈にとどまっているのが現状です。
 2016年に行われた調査により、犬にはどうやらエピソード記憶があるらしいことがわかりました(→詳細)。しかし猫においてはほとんど検証されたことがなく、この種の記憶を持っているのかどうかが未だによくわかっていません。そこで京都大学の「CAMP-NYAN」という研究チームは、エピソード記憶が持つ「偶発的記銘」という特徴を生かし、「たとえ賞罰が関わっていない中立的な情報でも、猫はある程度記憶しているはずだ」という仮説の証明に取り掛かりました。
偶発的記銘
「偶発的記銘」(incidental encoding)とは、周囲の状況を覚えようと努力していないにも関わらず、「いつ/どこで/何が」といった情報が記憶として脳内に残る現象のこと。人間で言うと「昨夜自宅で食べた味噌汁の具は豆腐だった」といった瑣末な情報を覚えているなど。

猫のエピソード記憶・実験

 調査チームは49頭の猫をリクルートし、「CAMP-NYAN」の藤田教授が2012年に犬を対象として行った方法(→出典)を用いた実証実験を行いました。以下は概要です。
実験1
猫の場所に関する偶発的記銘能力を証明するための実験
  • 提示フェイズ色や形がバラバラな容器を4つ用意して中に餌を入れる。猫を容器の前に連れて行き、事前に決められた2つの容器だけから餌を食べさせる。
  • テストフェイズ猫を15分間部屋から退出させ、匂いによる手がかりを完全になくすため、並び順を変えないまま容器を4つとも入れ替える。その後猫を室内に戻し、自由に探索させる。
  • 仮説✓もし賞罰を必要条件とするオペラント条件付けによる記憶が成立していたら、「さっきはあの容器から餌を食べた。また同じ容器を選ぼう」という動機が生まれ、提示フェイズで選択済みの容器を最初に選ぶはず。
    ✓もし賞罰を必要条件としない偶発的記銘による記憶が成立していたら、「さっきはあの容器から餌を食べた。もう何も入っていないはずだから、今度はさっきは選ばなかった容器を選ぼう」という動機が生まれ、提示フェイズで選択しなかった容器を最初に選ぶはず。
  • 実験結果最初に選択する場所は偶然レベルである25%とほとんど変わらなかった。しかし2番目に選択する場所に関しては、選択済みの容器よりも未選択の容器を長く探索する傾向が見られた。猫が容器を選ぶ際の決定因になったのは、オペラント条件付けによる記憶ではなく、偶発的記銘による記憶であるという可能性が高い。しかしこの実験で分かるのは「猫は少なくとも場所に関する情報を偶発的に記銘できるようだ」ということだけにすぎない。
実験2
猫の場所と対象物に関する偶発的記銘能力を証明するための実験
  • 提示フェイズ色や形がバラバラな容器を4つ用意し、そのうち2つにだけ餌を入れ、残りの1つは空っぽ、もう1つには食べられない石ころなどを入れる。猫は餌が入った2つの容器のうちどちらか1つだけから食べることができる。
  • テストフェイズ猫を15分間部屋から退出させ、匂いによる手がかりを完全になくすため、並び順を変えないまま容器を4つとも入れ替える。その後猫を室内に戻し、自由に探索させる。
  • 仮説✓もし猫が「場所」に関する情報しか偶発的に記銘できないのなら、「さっきはあの容器から餌を食べた。でも残り3つの容器に何が入っているかは覚えていない。仕方ないから適当に選ぼう」という動機が生まれるはず。その結果、最初に選ぶ容器は提示フェイズで選ばなかった3つの容器のうちのどれかで、その確率は偶然レベル(1/3)になるはずである。
    ✓もし猫が「場所」に関する情報と共に「対象物」に関する情報も偶発的に記銘できるのなら、「さっきはあの容器から餌を食べた。残り3つの容器のうち食べ残しが入っている容器も覚えている。今度はその容器を選ぼう」という動機が生まれるはず。その結果、最初に選ぶ容器は提示フェイズで選ばなかった3つのうち、餌が入っている容器になるはずである。
  • 実験結果提示フェイズで選択しなかった3つの容器のうち、餌が入っている容器を優先的に選び、長く探索する傾向が見られた。猫は「場所」に関する情報のみならず、「対象物」に関する情報も同時に偶発的に記銘できるという可能性がある。
 上記した結果から調査チームは、猫は何かを覚えよう努力していないにもかかわらず、経験した情報を偶発的に記銘できる、すなわちエピソード記憶を持っているという結論に至りました。ただし、エピソード記憶の特徴とされる「いつ/どこで/何が」という情報のうち「いつ」に関する検証が甘いため、今後のさらなる研究で補強していく必要性があるとも。
Use of incidentally encoded memory from a single experience in cats
Saho Takagia, Mana Tsuzukia, et al. Behavioural Processes, dx.doi.org/10.1016/j.beproc.2016.12.014

猫も思い出に浸れる?

 猫にもエピソード記憶があるという可能性に行き着いた京都大学の調査チームは、BBCの取材に対して「猫も人間と同じように自発的に思い出に浸ることができるかもしれない」と語っています(→出典)。確かに、眠りながら手足をピクピクさせているような時は、エピソード記憶の中から「蝶々を追いかけている場面」や「カラスに追いかけられている場面」などを思い出しているのかもしれません。しかし「自発的に」そうした想起を行うことができるかと聞かれるとはなはだ疑問です。人間の脳が1,300~1,400gあるのに対し、猫の脳はわずか30g程度しかありません。これは500円玉4~5枚分という驚くべき軽さです。人間と猫の脳の機能には基本スペックの時点で大きな格差がありますので、私たちと同程度の記憶保持能力を猫に期待するのは早計というものでしょう。 猫は今に意識を集中させるマインドフルネスのお手本  人間に比べて猫は記憶力が悪いと考えられますが、必ずしも悪いことばかりではありません。記憶力の良い人間は、過去に経験した恥ずかしい出来事や大失敗を膨大なエピソード記憶の中から再生して落ち込むということがよくあります。近年、精神衛生を保つ方法として「マインドフルネス」が流行しているのもそのためでしょう(→出典)。一方、猫は記憶容量が小さいため、自分の生死にかかわるような重要なエピソード記憶以外はどんどん削除していくと考えられます。「マインドフルネス」が目指しているように、記憶の牢獄から解放されて「今」という時にだけ生きたいときは、目を閉じたまままんじりとも動かないニャンコ先生をお手本にするのが一番の近道なのではないでしょうか。