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猫の慢性腎不全と幹細胞治療~間葉系幹細胞(MSC)で腎臓の機能は回復するのか?

 猫の慢性腎不全に対する間葉系幹細胞を用いた再生医療が期待を集めています。食事療法や投薬治療との根本的な違いは、病気の進行を抑えるのが目的ではなく、腎臓の機能を完全に再生させることを目的としているという点です。

間葉系幹細胞による再生医療

 間葉系幹細胞(Mesenchymal Stem Cell, MSC)とは脂肪細胞、軟骨細胞、骨芽細胞を始めとした多種多様な細胞に分化する可能性を秘めた成体幹細胞のこと。障害を受けた部位に自発的に移動する性質を有しており、機能を失った臓器や器官を復活させる「再生医療」において重要な役割を担うと考えられています。

猫の間葉系幹細胞

 猫においては2002年、骨髄組織から最初の間葉系幹細胞(MSC)が作り出されて以来研究が進み、現在では骨髄だけでなく脂肪組織、羊水、羊膜、不妊手術で摘出した精巣や卵巣などからも作り出すことができます。顕微鏡所見は線維芽細胞に酷似しています出典資料:Quimby, 2018)猫の間葉系幹細胞(MSC)の顕微鏡所見  細胞表面では接着分子の一種であるCD44、CD90、CD105がマーカーとして確認できるものの、白血球抗原や主要組織適合性複合体(MHC)IIは発現していません。少なくとも実験室内では3つの胚葉(外胚葉・中胚葉・内胚葉)に分化する能力を有していることが確認されています。
 採取しやすいと同時に接着力と増殖力が強いことから、猫においては脂肪組織由来の間葉系幹細胞を用いた実験が数多く行われています。DNAレベルの検証では細胞死の調整、細胞接着、酸化ストレス反応、細胞分化の調整に関与した遺伝子を豊富に含んでおり、他の動物種と同様、免疫調整に深く関わっていることから炎症性、退行変性性、免疫介在性疾患の治療に応用できると期待されています。猫の好発疾患である慢性腎不全においては抗炎症作用、血管形成促進能、細胞死抑制能、線維化抑制能、抗酸化能、内在性前駆細胞の生成などを通して治療効果を発揮すると想定されていますが、まだ実証はされていません。
 レトロウイルス科・スプーマウイルス属のネコフォーミーウイルス(Feline Foamy Virus, FFV)は病原性を有していませんが、間葉系幹細胞内にこのウイルスが感染している場合、自家細胞の大規模拡大に支障が出る可能性があることから、細胞を拡大培養する際はこのウイルスを保有していない個体から採取することが理想とされます。またげっ歯類を対象とした実験において、尿毒症が幹細胞の分化能力を低下させる可能性が示されているため、慢性腎不全を患っている猫の体内から幹細胞を取り出して培養することのデメリットを指摘する声も上がっています出典資料:Quimby, 2015)

日本における幹細胞治療

 日本国内では2019年の末、アニコムグループや富士フイルムグループが中心となり、農林水産大臣、経済産業大臣の認可を得て「動物再生医療技術研究組合(PARM)」が発足しています。この非営利共益法人の目的は、犬や猫を中心としたペット動物を対象とした細胞治療サービスの各プロセスを標準化し、あらゆる診療施設の獣医師が、安全かつ有効な細胞治療サービスを提供できる仕組みを実現することです出典資料:アニコム, 2020)動物再生医療技術研究組合の目指している枠組み  枠組みが実現した場合、動物病院ごとに必要とされる細胞培養設備への投資や労力が不要になり、組合によって品質保証された間葉系幹細胞が加盟各病院に提供されるようになります。
 2020年11月時点で約120の動物病院が加盟しており、順次拡大中とのこと。また加盟動物病院にてこれまで約20症例の細胞投与が行われており、犬を対象とした慢性腸症、椎間板ヘルニア、関節炎の治療、および猫を対象とした慢性腎臓病の治療が実験的に進められています。

慢性腎不全に幹細胞治療は有効?

 猫における慢性腎不全の特徴が尿細管間質の炎症と線維化であることから、抗炎症作用や抗線維化作用を有する間葉系幹細胞を用いた再生医療が特に効果を発揮してくれるのではないかと期待されています。これまで様々な手法を用いた様々な実験が行われきましたが、現状を一行で表すと「重大な副作用は見られないものの画期的な効果も見られない」となります。げっ歯類(マウスやラット)を対象として行われた実験で確認されている有効性が猫において再現されない理由としては、人為的に引き起こした腎不全と自然発症した腎不全の違い、急激に発症した腎不全と緩徐に進行した腎不全の違いなどが指摘されています。
 以下は猫を対象として実際に行われた間葉系幹細胞による再生医療の調査結果です。「自家」は「自分の体から取り出した」、「他家」は「他の個体から取り出した」を意味しています。 またIRIS(国際腎臓利益協会)のステージに関しては「慢性腎不全の検査・診断」をご参照ください。

自家骨髄と脂肪/腎内直接

 コロラド州立大学の調査チームは、自分自身の体組織から抽出した自家幹細胞に腎機能を回復する能力があるかどうかを検証しました出典資料:Quimby, 2011)
 調査に参加したのは臨床上健康な2頭とIRISステージ2~4の慢性腎不全を患う4頭の猫たち。自分自身の骨髄組織もしくは脂肪組織由来の間葉系幹細胞を片方の腎臓内に直接注入し、注入前→7日後→30日後のタイミングで腎機能を評価しました。
 その結果、即時的および長期的な副作用は見られなかったと言います。脂肪組織由来の幹細胞を注入した患猫3頭中2頭では糸球体濾過率(GFR)が中等度改善し、血清クレアチニン濃度が軽度低下したものの、施術に際しては鎮静を頻繁に行う必要があるため、一般的な治療法として普及させるのは現実的ではないとの結論に至っています。

自家脂肪組織/動脈経由

 アメリカのニューヨークにある「The Animal Medical Center」の調査チームは、げっ歯類を対象とした実験で腎臓の機能が回復する可能性が示されている間葉系幹細胞の動脈内直接注入が、猫にも適用できるかどうかを検証しました出典資料:Thomson, 2019)
 調査対象となったのはIRISステージ3の慢性腎不全と診断された一般家庭で飼育されている5頭のペット猫。自分自身の身体から脂肪組織を採取し、酵素処理後に残った間質血管細胞群の中から間葉系幹細胞を抽出して、エックス線透視法により大腿動脈もしくは頚動脈経由で腎動脈内に注入しました。
 その結果、調査期間中に重大な副作用は見られなかったといいます。また施術前および施術90日後のタイミングで腎機能のパラメーター(血清クレアチニン濃度・血中尿素窒素濃度・血漿イオヘキソールクリアランス・QOL評価)を行ったものの、顕著な改善は見られなかったとも。

他家脂肪組織/静脈経由

 コロラド州立大学の調査チームは慢性腎不全を患うげっ歯類を対象とした調査で抗炎症作用と抗線維化作用が示されている間葉系幹細胞が、猫に対しても同様の効果を発揮するかどうかを検証しました出典資料:Quimby, 2015)
 調査に参加したのはIRISステージ2もしくは3の慢性腎不全を患う合計8頭の猫たち。間葉系幹細胞は臨床上健康な別の猫の体から脂肪組織を採取して抽出されました。ランダムで選ばれた4頭に対しては体重1kg当たり200万個の幹細胞を2→4→6週目のタイミングで静脈経由で注入、2頭に対してはプラセボ注入、残りの2頭に対しては3回のプラセボ注入と3回の幹細胞注入が混合して行われました。
 その結果、3回の他家幹細胞注入を受けた合計6頭の猫たちに何ら副作用は見られなかったといいます。一方、注入開始前および注入開始後2→4→6→8週目のタイミングで血液生化学検査と尿検査、糸球体濾過率調査を行い、開始前と8週目のタイミングで尿中のUPC比を調べましたが、幹細胞注入群とプラセボ群の間に格差は見られなかったそうです。

他家羊膜/静脈経由

 ブラジルにあるサンパウロ大学の調査チームは、羊膜から取り出した他家間葉系幹細胞が腎臓の機能を回復できるかどうかを検証しました出典資料:Vidane, 2016)
 IRISステージ2もしくは3の慢性腎不全を患う9頭を対象とし、両方の腎臓内に静脈経由で200万個の間葉系幹細胞を2回に渡って注入したところ、腎臓の構造や形態自体に変化は見られなかったものの、血清クレアチニン濃度、尿中UPC比、尿比重の値が改善したといいます。また臨床上健康な猫1頭を対象とし、片方の腎臓に50万個の幹細胞を静脈経由で注入するという施術を行いましたが、鎮静や麻酔がストレスとなり一時的な血尿が出たとのこと。
最適な培養法、注入ルート、注入量、施術スケジュールに関しては現在も研究が進められています。日本国内で実用化するのはまだ先の話になりますが、近い将来「腎不全を治す」という画期的な選択肢が登場するかもしれません。猫の慢性腎不全