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猫向けワクチンに含まれる内在性レトロウイルスと腫瘍の形成リスク

 猫向けワクチンの製造工程で使用される細胞(CRFK)に内在的に含まれるレトロウイルス。このウイルスによる腫瘍の形成リスクを減らすため、ゲノム編集技術を用いた試みがなされました。

猫の内在性レトロウイルスとは?

 内在性レトロウイルス(endogenous retrovirus, ERV)とはウイルス以外の細胞のゲノム内に含まれるレトロウイルスによく似た塩基配列のこと。レトロウイルスに感染した生物のゲノムにウイルスのそれが取り込まれたまま、子孫に代々受け継がれるものと考えられています。 内在性レトロウイルスと宿主

代表格はRD-114ウイルス

 猫における内在性レトロウイルスとして有名なのはRD-114ウイルスです。このウイルスが有するenv遺伝子とヒヒの内在性レトロウイルスのそれが74%の相同性を有していることから、長い歴史の中のどこかでヒヒ→ネコという水平感染が生じた可能性が疑われているものの、一体どのようにして猫ゲノムの中に入り込んだのかはよくわかっていません。

RD-114ウイルスの生成

 RD-114ウイルスに関連した塩基配列(RDRS)は猫のゲノムから6つ発見されており、そのうち1つはすべての猫がおそらく数百万年前からネコC2染色体内に保有していると推測されています。残りの5つに関しては暮らしている国や品種によって保有状況がまちまちです。
 ネコA2染色体のRDRS-A2およびネコC1染色体のRDRS-C1のシーケンスで組み換えが起こった場合、細胞内においてRD-114ウイルスが生成されるのではないかと考えられています。

RD-114ウイルスの病原性

 哺乳動物は一般的に数百から数千もの内在性レトロウイルスを保有していますが、長年に渡る遺伝子の変異や欠失によりタンパク質の生成能力を失い、ほとんどは病原性を示しません。
 猫の生体内におけるRD-114の病原性は解明されていないものの、リンパ肉腫や悪性腫瘍組織内におけるRD-114ウイルスの発現量が正常細胞のそれを超えていることから、腫瘍源性を有している可能性が疑われています。先行事例としては、免疫力が低下したマウスの体内で、複製能力を有さないはずの内在性レトロウイルス(ERV)の組み換えが起こり、複製能力を有したERVが再生され、結果としてリンパ肉腫を引き起こしたといったものがあります。

レトロウイルスのワクチン混入

 ワクチンの製造工程では標的ウイルスの培養に特定細胞を用いることから、細胞内に含まれるレトロウイルスがワクチンの中に混入してしまうという現象が起こりえます。例えば鶏の胚を用いて生成された麻疹、おたふく風邪、風疹、黄熱病ワクチンから内在性のトリ白血病ウイルス(ALV)や内在性のトリレトロウイルス(EAV)が検出されるなどです。
 これと同様、猫のワクチンを製造する過程で用いられるCrandell-Rees feline kidney(CRFK)という細胞に内在性レトロウイルスが含まれていると、ワクチンの中に入り込む可能性がありますし、実際にRD-114ウイルスが検出されています。

猫のワクチンからERVを消し去る

 猫向けワクチンの中からRD-114ウイルスが検出されている事実、およびRD-114ウイルスが腫瘍源性を有している危険性を考慮すると、製造工程においてそもそもRD-114ウイルスが混入しないように配慮するのは妥当です。2022年4月、京都大学のチームがこの難題に挑戦しました。
Establishment of CRFK cells for vaccine production by inactivating endogenous retrovirus with TALEN technology.
Shimode, S., Sakuma, T., Yamamoto, T. et al., Sci Rep 12, 6641 (2022). DOI:10.1038/s41598-022-10497-1

RDRSのノックアウト

 研究チームはゲノム編集技術(TALEN)を用い、RD-114ウイルスの生成に関与している塩基配列(RDRS)のenv遺伝子をノックアウトしました。具体的な標的はネコA2染色体のRDRS-A2およびネコC1染色体のRDRS-C1です。その結果、細胞内からenv RNAが検出されなくなったといいます。これはenv遺伝子が狙い通り機能停止に陥り、RD-114ウイルスを生成できなくなったことを意味しています。 ゲノム編集技術(TALEN)によって遺伝子をノックアウトされたCRFK  なおノックアウトで遺伝子の機能を停止したとはいえ、長い間に再び自発的な組み換えが起こりオープンリーディングフレーム (タンパク質へと転写・翻訳される可能性のあるDNA配列)が再生されてしまう可能性があります。これに対し研究チームは、RDRSのenv遺伝子3種はゲノム編集されているか、始めから終止コドンを含んでいるため、これらの塩基配列から完全なenv遺伝子を有したRD-114が生成されることはありえないとしています。

オフターゲット効果の検証

 ゲノム編集にはオフターゲット効果がつきものです。これは目的遺伝子とは異なるゲノム配列上で切断と変異導入が起きる現象のことで、生体に対して意図せぬ悪影響を及ぼしてしまう危険性をはらんでいます。
 研究チームがオフターゲットが起こりやすい領域トップ10を調べた結果、どこにも変異は見られなかったといいます。細胞の増殖能力にも変化が見られなかったことから、ゲノム編集による悪影響はないものと推定されました。

ウイルス培養能の検証

 CRFKはウイルスの苗床として使われる細胞です。ゲノム編集によってウイルスが正常に培養できなくなっては元も子もありません。
 研究チームはノックアウトしたCRFK(RDKO)を用い、猫の混合ワクチンのターゲットであるヘルペスウイルス1型(FHV-1)、カリシウイルス(FCV)、汎白血球減少症ウイルス(FPLV, パルボウイルス)の増殖試験を行いました。その結果、抗体価ベース(TCID50)では以下のような違いが見られたといいます。
ノックアウトと増殖能変化
ノックアウトしたCRFK内における各種病原性ウイルスの増殖能変化グラフ
  • FHV-1:CRFK=RDKO
  • FCV:CRFK>RDKO
  • FPLV:CRFK<RDKO
 ゲノム編集により一部のウイルスにおいて増殖能に増減が生じることが確認されました。この変化が商業的に許容範囲かどうかは今後の検証が必要としています。なお培養に利用した細胞内からRDRS env RNAやRD-114ウイルスは検出されなかったとのこと。
細胞の機能はそのままで、RD-114ウイルスだけを除去できるのであればそれに越したことはありません。猫のワクチン接種・完全ガイド