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猫伝染性腹膜炎(FIP)の新薬候補「GS-441524」の眼症状と神経症状に対する効果

 これまでの常識では、FIP(猫伝染性腹膜炎)を発症して眼球や中枢神経に症状が出てしまった猫の生存は絶望的とされてきました。しかし新薬候補成分である「GS-441524」を高用量で投与すると、完全回復を含めたかなり良好な治療成績を得られる可能性が示されました。

FIPの重症例とGS-441524

 猫伝染性腹膜炎とは、猫の腸管内に生息するありふれたウイルス「猫腸コロナウイルス」が何らかの理由によって突然変異を起こし、強い病原性を発揮して発症する感染症の一種。引き起こされる症状は「FIP」と称され、ひとたび発症すると死を免れないというのがこれまでの常識でした。 ウエット型FIPの特徴は滲出液による腹水や胸水  しかし2019年、 「GS-441524」と呼ばれるヌクレオシド類似成分が猫伝染性腹膜炎ウイルスに対し高い駆逐能力を有していることが予備的に実証されたことにより、これまで不治の病とされてきたFIPを克服できる可能性が示されました。具体的には「1回皮下投与量4.0mg/kg × 最低12週間」という投薬プロトコルで、試験に参加した患猫31頭中24頭が生き残る(生存率は77.4%)というかなり良好な治療成績が得られています。報告の詳細については以下のページをご参照ください。 猫伝染性腹膜炎(FIP)に対するGS-441524のウイルス増殖抑制効果  一方「予備的」という表現が示すように、まだわからない部分も残されています。その一例が、眼球や中枢神経に症状が出てしまった重症猫に対する治療効果です。眼球には血液網膜関門、脳には血液脳関門と呼ばれるバリアシステムがあり、体内に入ってきた異物を容易に受け入れないようにできているため、薬を投与してもなかなか効いてくれず、最終的に病気に屈してしまうことがよくあります。上で紹介した予備調査においても、投薬にも関わらず2頭では神経症状にまで発展しました。
 今回、カリフォルニア大学デイヴィス校の獣医療チームが行ったのは、FIPを自然発症して眼球や神経にまで症状が広がった猫4頭に対する高用量GS-441524の投薬試験です。結論から述べると「体重1kg当たり5~10mgを1日1回皮下投与×14~19週間」という投薬プロトコルにより4頭中3頭が臨床上健康な状態を保ったまま長期(投薬開始から354~528日)に渡って生き延びることができました(※調査報告時も存命中)。この結果からチームは、絶望的と思われてきた眼症状や神経症状を発症したFIP患猫においても、高用量・長期の投薬によって完全回復を含めた改善が期待できると結論づけています。以下は具体的な症例報告です。
Antiviral treatment using the adenosine nucleoside analogue GS ‐441524 in cats with clinically diagnosed neurological feline infectious peritonitis
Peter J. Dickinson, Michael Bannasch, Sara M. Thomasy, Niels C. Pedersen, et al., Journal of Veterinary Internal Medicine, DOI:10.1111/jvim.15780

症例1

  • 患猫プロフィール8ヶ月齢 | 体重3kg | 去勢済みのオス | ブルーシールポイントのシャム | 保護団体出身
  • 症状数ヶ月の元気消失と食欲不振 | 1ヶ月に渡る進行性の後肢運動失調 | 発育不全(メスの同腹仔と比べて1kg軽い)
  • 血液生化学検査総タンパク濃度の上昇(8.9g/dL) | アルブミン:グロブリン比は0.53 | 猫腸コロナウイルス(FECV)抗体価レベルは1:12,800
  • 眼科検査初見両目の脈絡網膜瘢痕あり
  • 投薬プロトコル体重1kg当たり5mgのGS-441524を1日1回皮下投与×14週間
治療結果・反応
 投薬開始から4日で食欲の回復と運動性の増加(高い場所にジャンプするなど)が見られるようになった。血清総蛋白濃度は治療終了時に7.8g/dL、AG比は0.77。神経検査で異常は見られず体重は5.1kgに増加。治療開始から528日の時点で臨床上の異常は見られないまま存命している。

症例2

  • 患猫プロフィール1歳 | 体重3.7kg | 去勢済みのオス | 短毛種 | 保護施設で野良猫が出産
  • 症状1週間続く元気消失 | 3ヶ月に及ぶ頭側ぶどう膜炎 | 異常行動(しっぽのけいれん的な動き・全身性のひきつけ) | 食欲不振・食事廃絶 | 後肢の運動失調
  • 血液生化学検査総タンパク濃度の上昇(8.6g/dL) | アルブミン:グロブリン比は0.48 | 総ビリルビン濃度の上昇(1.8mg/dL) | ASTの活性上昇(128?IU)
  • 神経学検査所見全身性の運動失調 | 左胸部および右後肢における姿勢反射の減弱 | 両目の生理的眼振および威嚇まばたき反応減弱 | 左目の散瞳と対光反射の減弱 | 右鼻腔感覚の鈍化
  • 眼科検査初見両目の頭側性ぶどう膜炎 | 両目の網膜血管炎 | 左目の網膜剥離
  • 腹部超音波検査初見腹腔リンパ節の腫大
  • 投薬プロトコル体重1kg当たり5mgのGS-441524を1日1回皮下投与×14週間
治療結果・反応
 精神状態および活動性は初投与からわずか48時間で顕著に改善した。投薬開始から3週間後に行われた神経学および眼科学検査では両目の軽度の断続的な瞳孔不同と脈絡網膜瘢痕を除いて異常は見られなかった。
 治療終了時の体重は5.9kgまで増加し、血清総タンパク濃度は8.1g/dL、AG比は0.77。治療終了から3週間後の体重は6.4kgまで増加し、身体的および神経学的検査で異常は見られなかった。治療開始から516日経過した時点で存命中。

症例3

  • 患猫プロフィール18ヶ月齢 | 体重2.6kg | 避妊済みのメス | 短毛種 | 保護施設出身
  • 症状3週間に及ぶ進行性の元気消失・食欲不振 | 3ヶ月に及ぶ眼科疾患 | 数日続く進行性の後肢麻痺
  • 血液生化学検査総タンパク濃度の上昇(11.7g/dL) | アルブミン:グロブリン比は0.2 | FECV抗体価1:6,400
  • 神経学検査所見両目のぶどう膜炎・過粘着性症候群 | 眩目反射と視力自体は残っており、明るい場所ではかろうじて見える
  • 眼科検査初見運動統合不全と頭部の過敏症 | 不全対麻痺で歩行不全 | 後肢の反射減弱 | 両目の瞳孔不同・威嚇まばたき反応消失・対光反射消失
  • 腹部超音波検査初見肝臓と脾臓の腫大 | 腎臓の縮小 | 腹腔リンパ節の腫大
  • 投薬プロトコル体重1kg当たり5mgのGS-441524を1日1回皮下投与×15週間
治療結果・反応
 投薬開始から1ヶ月後の時点で体重は3.3kgにまで増加。ぶどう膜炎は改善、不全対麻痺はあるけれども歩行は可能となった。脊髄分節反射は正常で血清AG比は0.55。
 投薬開始から2ヶ月後の時点で右目に軽微な頭側ぶどう膜炎が残る。体重は3.7kgにまで増え、AG比は0.67。
 治療終了後、右目のぶどう膜炎はほぼ消失して歩行能力も大幅に改善し、体重は4kgにまで増えた。AG比は0.76。しかし投薬をやめてからわずか36時間で元気消失、食欲不振、瞳孔不同が再発。薬の再投与により24時間以内に症状は改善し、その後12週間に渡って小康状態を保っていたが活動性の減少は依然として残ったままだった。薬剤に対する抵抗性が見られたため投薬開始から216日目に安楽死となり、組織学的検証が行われた。
 神経系では多焦点性の非化膿性髄膜炎、脳脊髄炎、脳室炎が確認された。眼科系ではリンパ球および組織球性のぶどう膜炎と脈絡膜炎が確認された。その他脳、腎臓、眼球内からウイルスの免疫組織化学染色反応が確認された。

症例4

  • 患猫プロフィール7ヶ月齢 | 体重2.7kg | 避妊済みのメス | 短毛種 | 保護施設出身
  • 症状3週間に及ぶ元気消失と食欲不振 | 2週間に及ぶ運動失調としゃがみこみ姿勢
  • 血液生化学検査総タンパク濃度の上昇(8.5g/dL) | アルブミン:グロブリン比は0.37 | 総ビリルビン濃度の上昇(0.5mg/dL) | 貧血(ヘマトクリット25.8%) | リンパ球減少症(835/μL)
  • 神経学検査所見特に後肢で顕著な運動失調性歩様 | 後肢の姿勢反射減弱 | 瞳孔不同・対光反射の減弱 | 威嚇まばたき反応反応、眩目反射、視力は残存
  • 眼科検査初見両目に頭側ぶどう膜炎と尾側癒着 | 眼圧亢進(右25mmHg, 左11mmHg) | 右目の網脈絡膜炎
  • 腹部超音波検査初見腎髄質高輝度エコー | 後腹膜の脂肪蓄積 | リンパ節の腫大 | 軽度の腹部滲出
治療プロトコル1と結果
💉体重1kg当たり5mgのGS-441524を1日1回皮下投与×4週間 | 酢酸プレドニゾロン1%を8時間おきに両目に点眼(最初の3週間) | ドルゾラミド2%を8時間おきに右目に点眼(最初の3週間)

🐈活動性と精神状態は24時間で改善を見せた。投薬4週後の時点で眼科疾患は顕著に回復したが運動失調は残存。血清総タンパク濃度は依然として高く(8.6g/dL)、AG比は0.72に改善。リンパ数減少症と貧血は回復した。
治療プロトコル2と結果
💉体重の増加が見られず、また神経症状(運動失調)も残っていたため、処方量を8mgに増やして10週間の再投薬治療 | プレドニゾロン1mgの経口投与(2週間)

🐈投薬から24時間で活動性と自発的な跳躍運動が見られるようになった。投薬終了から1週間後には神経学的な表徴が見られなくなり、眼科疾患も消えた。体重は3kgに増加し、血清総タンパク濃度は7.6と正常範囲内に戻り、AG比は0.8を示した。
治療プロトコル3と結果
💉PCR検査でウイルスは検出されず、脳脊髄液の全有核細胞数は減少したものの依然として高い値(224/μL)を示していたため、処方量をさらに10mgに増加して5週間の投薬治療

🐈投薬期間中、活動性は正常を維持し体重は4.7kgにまで増加。投薬終了後は神経学的および眼科的異常所見は見られなくなり、MRI検査でも脳室拡大を除いてすべて正常だった。脳脊髄液検査では全有核細胞数の減少 (8/μL) および総タンパク濃度の上昇(85mg/dL)が確認され、ウイルスPCR検査は陰性でFECV抗体価は1:128にまで低下した。
 治療終了から3ヶ月後のMRI検査では脳室拡大が改善し、脳脊髄液検査では全有核細胞数6/μL、総タンパク濃度52mg/dL、PCR陰性、FECV抗体価レベル1:128を示した。血清総タンパク濃度は7.1g/dLでAG比は0.97、眼科検診で炎症は見られず、治療開始から354日経過時点で存命中。 GS-441524の投与量を漸増したときの体重増加グラフ

脳や網膜の関門突破濃度は?

 過去に実験室内で行われた調査ではGS-441524の半数効果濃度(EC50=薬剤がもつ最大反応の50%を示す濃度)は0.8μM、ウイルスの増殖を完全に抑制できる濃度は10μMと推計されています。一方、脳脊髄液を採取した症例4の猫から得られたデータでは、脳脊髄液中の薬剤濃度は血清濃度の20%程度しかなく、体重1kg当たり10mgを投与してようやく0.8~2.7μMに達したといいます。
 関門を持つ網膜や脳に十分な量の薬剤を到達させるためには、少なくとも暫定的に定められた推奨投与量である「体重1kg当たり1日4mg」よりは多くしないといけないようです。当調査で示唆されたように軽症例の場合は5mg、より症状が重い場合は10mgくらいまで増やす必要があるかもしれません。適切な投与量に関しては今後の研究課題となります。
 なお今回の調査中、注射部位の局所的な炎症反応以外に目立った副作用や有害反応は見られませんでした。薬剤による精神状態と食欲不振に対する改善効果は早く、投与から24~36時間で見られるとも。また長期的には体重の増加や自発的運動性の向上が回復の指標として有効だとしています。
🚨近年、「正規の動物医薬品として○○国で認可された新薬」と称し、とある製品の購入費用をクラウドファンディングで募るというケースが日本国内で多く見られます。しかし日本国内はもとより、米国内でも中国国内でもFIP新薬を認可したという事実は確認できません。自己責任で個人輸入する分には問題にはなりにくいですが、第三者に金銭的な無心をする際は誤った情報を使わないようご注意ください。たとえ意識はなくても、結果的に支援者に嘘を付くことになってしまいます。
自称「FIP新薬」を製造しているメーカーに直接問い合わせましたが、認可機関や認可日を回答できませんでした。まあ、そういうことなんでしょう…。現時点では「新薬候補」という表現を使うことをおすすめします。個人輸入の注意点は「猫伝染性腹膜炎(FIP)に対するGS-441524のウイルス増殖抑制効果」をご参照ください。