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猫における腕神経叢障害の原因と後遺症~屋外での交通事故と室内でのエントラップに要注意

 前足に連なる複数の神経が根本から強く引っ張られ、感覚の消失や運動機能の麻痺が引き起こされる「腕神経叢障害」。疫学調査の結果、猫で多い受傷原因と効果的な予防法が見えてきました。

猫における腕神経叢障害・疫学

 腕神経叢障害とは前足に連なる複数の神経が強い力で引っ張られることにより、感覚や運動が障害を受けた状態のこと。神経の断裂を伴う重症例は「腕神経叢裂離」などとも呼ばれます。頚椎と肩関節の距離を伸ばすあらゆる外圧が原因となり、人間においては難産、交通事故(頭部からの落下)、スポーツ中の事故、片手でのぶら下がりによる受傷が多いとされます。 猫の腕神経叢裂離 腕神経叢障害(裂離)は強力な牽引によって引き起こされる  腕神経叢障害は猫にも発症しますが、損なわれた神経の機能はちゃんと回復してくれるのでしょうか?イタリアにある複数の大学からなる共同チームが2004年1月から2017年12月の期間、ボローニャ大学とパルマ大学の獣医学教育病院を受診した猫たちのうち、腕神経叢障害と診断された患猫だけをピックアップし、予後に影響を及ぼす因子が何であるかを検証しました。その結果、以下のような傾向が見えてきたといいます。

患猫の基本属性

  • 患猫数:26頭
  • 年齢中央値:0.8歳(0.1~11歳)
  • 体重中央値:3.1kg(0.8~8kg)
  • オス:62%(16頭/10頭は去勢済)
  • メス:38%(10頭/5頭は避妊済)
  • 品種:すべて短毛種

受傷原因

  • 交通事故:46%(12頭)
  • エントラップ:8%(2頭)
  • 不明:46%(12頭)

受傷部位の詳細

  • 患側✓右前肢:54%(14頭)
    ✓左前肢:46%(12頭)
  • 受傷範囲✓頭側:0%
    ✓尾側:42%(11頭)
    ✓全域:58%(15頭)
  • 受傷グレード✓グレード2:35%(9頭)
    ✓グレード3:11%(3頭)
    ✓グレード4:54%(14頭)
頭側=第6~第7頚神経(C6-C7)
尾側=第8頚神経~第2胸神経(C8-T2)
全域=第6頚神経~第2胸神経(C6-T2)
グレード2=片前肢に麻痺があり体重を支えられない/肩関節と肘関節の収縮自体は可能
グレード3=片前肢に麻痺があり体重を支えられない/筋収縮はできないが痛覚は残っている
グレード4=片前肢に麻痺があり体重を支えられない/筋収縮能力のほか痛覚を含めた皮膚感覚も消失

臨床検査所見

  • 複合筋活動電位(CMAP)橈骨の欠如57%(8頭)で減弱43%(6頭)/尺骨の欠如が57%(8頭)減弱36%(5頭)/正常が7%(1頭)
  • 感覚神経伝達検査(SNCS)8頭が検査を受け、正常が62%(5頭)/尺骨神経だけ異常が13%(1頭)/橈骨と尺骨神経の両方異常が25%(2頭)
電気的診断を受けたのは54%(14頭)で、受傷から検査までの期間は中央値で17日。

予後・回復状態

 患猫が退院後、飼い主に対して行った追跡調査までのタイムラグ中央値は4.7年(0.5~8年)。18人(69%)が回答し、存命が12頭(67%)、安楽死(受傷とは無関係)が6頭(33%)。行動異常が56%(10名)の飼い主から報告された。
  • 運動量の減少=70%
  • 患部をなめる=60%
  • 患部を見つめる=50%
  • 人や動物との交流の減少=50%
  • 落ち着きをなくす=40%
  • 頻繁な鳴き声=40%
  • 不安徴候=30%
  • 患部をかじる=10%
  • 遊び行動の減少=10%
  • 睡眠の変化=10%
 医療記録が残っていた19頭のうち、断肢を余儀なくされたものが7頭、切断を免れたものが12頭。時間軸に沿った12頭における運動能力の回復状態は、3ヶ月以内が合計3頭(完全回復1頭+部分回復2)、6ヶ月以内が累計6頭(完全3頭+部分3)、12ヶ月以内が累計7頭。5頭に関しては運動機能が回復しなかった。
Clinical, Electrodiagnostic Findings and Quality of Life of Dogs and Cats with Brachial Plexus Injury
Marika Menchetti, Gualtiero Gandini, et al., Veterinary Sciences Volume7 Issue3, DOI:10.3390/vetsci7030101

腕神経叢障害の原因と予防法

 複数の患猫を対象とした疫学調査により、多い原因と効果的な予防法が見えてきました。具体的には以下です。

腕神経叢障害の原因

 受傷時の年齢中央値を見ると0.8歳(およそ9.6ヶ月齢)と1歳に満たない子猫で多いことがわかります。さらに原因別では交通事故が約半数ですので、無責任な飼い主が放し飼いにした子猫や、家から脱走した子猫が路上で車やバイクと衝突する状況が目に浮かびます。猫の交通事故では骨盤骨折が多いとされますが、下半身が車などと衝突した後に弾き飛ばされ、頭から落下して打ち所が悪いと、たとえ骨盤骨折を免れたとしても腕神経叢障害を発症する危険があるということです。 猫が骨盤を骨折する原因の8割は交通事故 壁と壁の間に挟まって身動きが取れなくなった猫  エントラップとは狭い場所に挟まって身動きが取れなくなる状態ですので、好奇心旺盛な子猫が興味の赴くままに探検している最中、うっかり体がトラップされてしまうのでしょう。あるいは首輪が外れて袈裟懸け状態になったのかもしれません。

運動機能は回復するかも

 予後が判明した19頭のうち、1年以内に大なり小なり運動機能が回復した割合は7頭(37%)、回復せず~断肢の割合は12頭(63%)でした。4割弱の回復率を多いと見るか少ないと見るかは意見が分かれるところですが、調査チームはいきなり前肢の切断を行うのではなく、少なくとも受傷から数ヶ月間は理学療法などを行って回復の兆しを待った方が良いのではないかと言及しています。幸い腕神経叢麻痺は片方の前足にしか発症しませんので、他の3本が無傷であれば移動能力自体は損なわれません。 前肢の運動麻痺を起こした猫で多く見られるナックリング(knuckling)歩行

腕神経叢障害の後遺症

 追跡調査を行った18名のうち、56%(10名)で猫の行動異常が報告されました。「患部をなめる」「患部をかじる」といった行動は、違和感や痛みがあるときによく見られますので、人間で言う「神経原性疼痛」がある可能性がうかがえます。
 神経原性疼痛とは物理的な異物に反応する生理的疼痛、ミクロな異物に反応する炎症性疼痛とは違い、生体を有害刺激から保護するために作用する痛みではありません。明白な意味もなく感覚異常、感覚不全、痛覚過敏が引き起こされた状態ですので、それ自体が疾患とみなされます。
 人医学では、腕神経叢障害を発症した後、30~80%の患者が神経原性疼痛を訴え、鎮痛薬がほとんど効かないことから生活の質(QOL)をいちじるしく損なうとされています。猫においてもこの神経原性疼痛があるのだとしたら、やはりQOLが低下していると考えた方がよいでしょう。猫は痛みや体調不良を隠す動物ですので、飼い主自身が気づかないという状況も大いに想定されます。なお神経原性疼痛を解消しようとして断肢を行ったとしても、今度は切断部位に幻肢痛が現れる危険性がありますので、根本的な解決にはなりません。
腕神経叢障害は十分に予防が可能な外傷です。完全室内飼いを徹底し、家庭内では不慮のエントラップ事故に気をつけます。首輪をしている場合は外れやすいクイックリリースを選んだ方が安全でしょう。猫を放し飼いにしてはいけない理由