トップ猫の文化猫の浮世絵美術館国芳以外の浮世絵師猫子つみどうけかつせん

猫子つみどうけかつせん

 猫の登場する江戸時代の浮世絵作品のうち、猫子つみどうけかつせんについて写真付きで解説します。

作品の基本情報

  • 作品名猫子つみどうけかつせん
  • 制作年代1843年頃(江戸・天保14)
  • 作者歌川芳艶
  • 板元未詳
猫子つみどうけかつせんのサムネイル写真

作品解説

 「猫子つみどうけかつせん」(ねこねつみどうけかつせん)は、擬人化された猫とネズミが合戦を繰り広げる様子を描いた戯画(ぎが)です。作者は歌川芳艶(うたがわよしつや)。タイトルを漢字にすると「猫鼠道化合戦」となり、「道化」という言葉が示すとおり細部にわたって芳艶のお道化たユーモアが散見されます。
「猫子つみどうけかつせん」・ネズミ軍
「猫子つみどうけかつせん」・ネズミ軍  右方はネズミ軍で、大将は右上で采配を振るう「綱中福忠郎」でしょうか。兵士は廿日鼠(ハツカネズミ)、南京鼠、目赤鼠、志ろ鼠など。こま鼠が先端にコマがついた旗指物(はたさしもの)を掲げているのは細かいダジャレでしょう。犬張子(いぬはりこ=犬の形姿を模した紙製の置物)で猫の戦意を喪失させ、「らいごうあじゃり」の妖術でネズミ兵が登場しています。
頼豪阿闍梨(らいごうあじゃり)
 頼豪(らいごう)は、効験があれば思いのままに褒美を取らせるという白河天皇との約束のもと、皇子の誕生を祈祷し続け、1074年(承保元年)12月16日、見事これを成就させた。頼豪は褒美として三井寺の戒壇院建立の願いを申し出たが反故にされ、このことを怨んだ彼は断食に入り、敦文親王を呪い殺してしまう。その後頼豪の怨念は石の体と鉄の牙を持つ8万4千匹ものネズミとなって比叡山を駆け上り、経典ばかりか仏像をも食い破ったという。
「猫子つみどうけかつせん」・ネコ軍
「猫子つみどうけかつせん」・ネコ軍  対する左方はネコ軍で、大将は左上で采配を振るう「永尾三毛之助」。兵士は三毛猫、赤ネコ、からすねこ、さつまねこなど。「祢づみとり薬」(鼠捕り薬)と大きく書かれたのぼりの後ろでは、弓矢の要領で薬を飛ばそうとしている姿が見られます。甲冑(かっちゅう)の一部が小判になっていたり、菓子袋をかぶった猫が退却しているのは、それぞれ「猫に小判」、「猫の頭に袋」(事態が後退する様子)という慣用句を基にしたダジャレでしょうか。前方にはアワビの貝殻(当時の猫のエサ入れ)を掲げるネコや、ネズミが仕掛けたであろうマタタビの袋に気を取られる赤ネコなどが見て取れます。図の左上、旗指物にさりげなく描かれた肉球もかわいいですね。
 なお、猫とネズミを擬人化した同じような趣向の作品としては、芳艶と同門の月岡芳年の「猫鼠合戦」が挙げられます。また当作品は、「らいごうあじゃり」が「鏡餅を持ち上げているネズミ」に置き換わっている異版も存在します。