トップ猫の文化猫の浮世絵美術館歌川国芳展荷宝蔵壁のむだ書

荷宝蔵壁のむだ書

 江戸時代に活躍した浮世絵師・歌川国芳の残した猫の登場する作品のうち、荷宝蔵壁のむだ書について写真付きで解説します。

作品の基本情報

  • 作品名荷宝蔵壁のむだ書
  • 制作年代1848年頃(江戸・嘉永元年)
  • 落款一勇斎国芳戯画
  • 板元伊場屋仙三郎
荷宝蔵壁のむだ書のサムネイル写真

作品解説

 「荷宝蔵壁のむだ書」(にたからぐらかべのむだがき)は、「荷宝蔵」と呼ばれる土蔵の外壁に、誰かが釘で引っかいて描いた歌舞伎役者の落書きをモチーフとした異色作です。「腰壁」(こしかべ)と呼ばれる壁の下半分の板張り部分が黄色い「黄腰壁」バージョンが3枚、黒い「黒腰壁」バージョンが2枚確認されています。当作品は「黄腰壁」版の中央にあるもので、手ぬぐいをかぶって踊る猫の姿を確認できます。
黄腰壁(左)と黒腰壁(右)
「壁のむだ書」・黄腰壁(左)と黒腰壁(右)  さて、絵の中央では猫がなにやらクネクネと腰をくねらせています。この猫は江戸時代後期に流行した「猫じゃ猫じゃ」という小唄を歌っているという説もあるようですが、手ぬぐいをかぶっている点、およびしっぽが二股に分かれている点を考えると、化け猫が登場する歌舞伎の一場面を模したものだという説の方が有力です。
 具体的に言うと「梅初春五十三駅」(うめのはるごじゅうさんつぎ)や「尾上梅寿一代噺」(おのえきくごろういちだいばなし)などではしっぽが二股に分かれた猫の踊る姿を確認できます。
 猫を取り囲むように描かれた似顔絵が全て歌舞伎役者(松本幸四郎や市村羽左衛門、中村歌右衛門など)であることからも、やはりこれは歌舞伎狂言に登場する化け猫を描いたものだと推察されます。
歌舞伎と落書きの比較図
歌舞伎と落書きの比較図  ところで、華美を戒める幕府の禁令、いわゆる天保の改革(1841年-1843年)は、この作品が作られた1848年ごろには事実上解禁状態にありました。ですから作風にこのような「うまヘタ」要素をわざわざを持ち込むことは、禁令を逃れるための方便だったというよりは、国芳自らが面白いだろうと言う遊び心を持って描いたものものだと推察されます。