トップ猫の文化猫の浮世絵美術館歌川国芳展流行猫の戯

流行猫の戯

 江戸時代に活躍した浮世絵師・歌川国芳の残した猫の登場する作品のうち、流行猫の戯について写真付きで解説します。

作品の基本情報

  • 作品名流行猫の戯
  • 制作年代1847年(江戸・弘化4)
  • 落款一勇斎国芳画
  • 板元山本平吉
流行猫の戯のサムネイル写真

作品解説

 「流行猫の戯」(はやりねこのたわむれ)は国芳と山東京山(さんとうきょうざん, 別名・京橋庵)とがコンビを組み、歌舞伎をパロディ化した全五図からなる大判錦絵です。山東京山とは江戸時代後期の戯作者であり、90歳で亡くなるまで積極的に執筆活動を行ったことで有名です。また「朧月猫の草紙」の第五編において「京山猫好き故、三匹養う」と記されており、国芳に負けず劣らずの猫好きだったことが伺えます。
 さて、この無類の猫好き二人がタッグを組んで取り組んだのは、当時流行していた歌舞伎の戯画化(ぎがか)です。作品のデザインはおおむね共通しており、右上に置かれた小判の中にシリーズ名、その下に太字でパロディの対象となった歌舞伎の題名、その下に「京橋庵戯述」という断り書き、小判の横には歌舞伎のセリフを面白おかしくアレンジした戯文という体裁(ていさい)になっています。全五図の詳細は以下。 太田記念美術館・浮世絵猫百景-国芳一門ネコづくし
流行猫の戯・全五図
流行猫の戯・全五図
1, 道行 猫柳婬月影(ねこやなぎさかりのつきかげ)  「梅柳對相傘」(うめあなぎついのあいがさ)のパロディ。遊女である傾城松山と町人・久兵衛の道行を猫に見立てています。着物の柄は小判、内に着た長じゅばんは鈴と首紐、そして左下の花をよくよく見ると、花弁が貝で葉っぱはアジの開きという具合に、隅々まで猫尽くしとなっています。
2, 梅が枝無間の真似(うめがえむけんのまね)  「ひらかな盛衰記」四段目の「神埼揚屋」のパロディ。本家のストーリーでは、手水鉢(ちょうずばち=水をためて手などを洗う鉢)をひしゃくで叩くと二階から小判が降ってくるという場面ですが、猫バージョンでは手水鉢がタコに置き換わっています。降ってきたのは小判ではなく、アジの開き。
3, 袂糞気罵責段(たもとふんきこごとぜめのだん)  「壇浦兜軍記」(だんのうらかぶとぐんき)内、「阿古屋琴責の段」(あこやことぜめのだん)のパロディ。本家のストーリーでは、源氏方の侍が平家方の情婦・「阿古屋」向かって敵方大将の行方を尋問し、返答に窮した阿古屋が琴と三味線と胡弓の三曲を弾きこなして自分の無実を証明するという場面です。
4, 身の臭婬色時(みのくさささかりのいろどき)  「其噂桜色時」(そのうわささくらのいろどき)などに登場するお俊(おしゅん)と伝兵衛(でんべえ)のパロディ。お俊に愛想をつかされた伝兵衛が、翌日になり、湯上りのお俊の元へ乗り込んで文句を言う「湯上りお俊」と呼ばれる場面です。
5, かゞみやな 草履恥の段(ぞうりはぢのだん)  「初桜尾上以丸藤」(はつざくらおのえのいわふじ)のパロディ。本家のストーリーでは、お局・岩ふじが密書を拾った中老(ちゅうろう=武家の役職の一つ)・尾上を落としいれようと企み、草履で打ち据える場面です。「かがみなや」(かがみなさい!)と怖そうな顔をして岩ふじを演じている猫の着物には、ブチ猫にひっかけて「岩ぶち」と大きく表記されています。草履をよく見ると、猫のエサ容器として当時よく使われていたアワビの貝殻になっています。